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浦和地方裁判所 平成4年(わ)53号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成三年五月初旬ころ、金員に窮した末、暴力団員を装い開業医から金員を喝取することを企て、同月九日、東京都新宿区〈番地略〉の株式会社富士銀行新宿西口支店に渡辺五郎名義の総合普通預金口座(番号三〇〇〇〇〇〇)を開設し、その後、キャッシュカードの交付を受け、同月十八日ころ、肩書住居において、「市内に神戸の山口組が進出するにあたり、御寄付をお願いしたい。一口金五〇万円。サツ(警察)に知らせるな。もし知らせたら必ず組の者が仕返しに行く。本日より二四時間体制で見張っている。電話回線にも盗聴機をセットした。期限までに振込まなければ、必ず若い者が仕返しに行く。振込方法①もよりの銀行で電信扱(い)で振込む。②富士銀行新宿西口支店、(普)三〇〇〇〇〇〇、渡辺五郎。見張られていることを忘れるな。ヤクザを甘く見るな。山口組系関東二和会総代渡辺組渡辺五郎」などと記入した書面を作成したうえ、同月一九日、都内JR新宿駅西口に在る新宿郵便局前のポストから、埼玉県蕨市〈番地略〉所在の金井塚医院の院長A(当時六六歳)、同県浦和市〈番地略〉所在の牧野医院の院長B(当時四二歳)及び同県新座市〈番地略〉所在の清水医院の院長C(当時三七歳)に対し、それぞれ、右書面の写しを入れた封書を投函して郵送し、翌二〇日、同人らにこれを到達、閲読させ、同人らに対し、それぞれ右書面に記載の金員の交付を求め、もし、これに応じないときは、本人やその家族の生命、身体、財産等にいかなる危害をも加えかねない気勢を示して畏怖させたが、右B及びCに対しては、いずれも、同人らが、警察署に届け出て右要求に応じなかったため、その目的を遂げることができず、また、右Aに対しても、同人が同月二三日に取引銀行の従業員を介して現金五〇万円を右預金口座に振込送金したものの、その前に、被告人の企てを知った捜査官が右富士銀行に連絡、指示し、同行において、右入金について、被告人による払戻しに応じない措置を講じたため、前記の目的を遂げることができなかった。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定の補足説明)

前掲の各証拠によると、被告人は、前記のとおり、Aらに対し、金員喝取を企て、平成三年五月一九日、脅迫文書を送付して自らが渡辺五郎名義で設けた預金口座に金員を振り込むよう求め、同月二三日、Aに五〇万円を振り込ませた事実が認められるところ、検察官は、これにより、被告人が右金員を喝取してその目的を遂げた旨主張する。

ところで、本件のように、金員喝取を企てた犯人が相手方から自らの預金口座に振込入金を得る行為を金員喝取の一態様として認めることを相当とする理由は、通常は、犯人が右入金を得ると同時に、何時でも自由に預金払戻手続によって入金額相当の現金を自らの手にすることができるようになり、したがって、右入金を得ることが、実質的には、相手方から現金の交付を直接受けることと異ならないことにある。

しかしながら、本件の場合、前掲各証拠によると、以下の事実、すなわち、被告人は、平成三年五月一九日、前記の都内の郵便ポストから前記Aら三名を含む埼玉県内の二十数名の医師に対して前記脅迫文書を送付し、同月二〇日、少なくとも右三名及び蕨市内の開業医のDにこれを到達、閲読させたこと、そして、少なくとも、前記Cと右Dは、同日中にこれを捜査官の許に持参して事件を通報したこと、これにより、埼玉県警察本部は、本件の被告人の企てとその預金口座を知り、富士銀行に連絡したこと、同銀行は、同月二一日午後零時一三分、右口座の関係機器に前記キャッシュカードによる預金払戻ができないように、また、店の窓口に右口座からの預金払戻を受けようとする者が現われ、係の者がこれに応じようとするときは、「上司に連絡せよ。」との指示が表示されるように入力して対処したこと、そして、被告人が同月二五日の午前中、千葉県柏市内の右銀行柏支店の自動払戻機に右カードを挿入し、右口座への入金を確認してその払戻しを受けようとすると、「このカードは使えません。」、「(窓口の)サービスカウンターまでどうぞ。」との表示が出て、その目的を達しえなかったこと、被告人は、これにより、自らの犯行がすでに捜査官や右銀行に発覚したものと思い、逮捕されることをおそれ、右表示に従ってその窓口に赴くことをせず、犯行遂行を断念するに至ったこと、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

そして、右事実によると、右の捜査官らと銀行は、右二一日以降、連携を保ちつつ、少なくとも、被告人が前記の脅迫をした医師らから右口座に振込まれた金員については、預金払戻しを受けることができないよう体制を整え、右のとおり、キャッシュカードによる払戻しをできないようにし、被告人ないしその関係者が右払戻しを受けようとして店の窓口に赴くときは、これを被告人を逮捕する契機とすべく待ち構えており、被告人がその後の同月二三日にAから右口座に前記振込入金を得た時点では、すでに、その払戻しを受けることは事実上できない状況となっていたものと想像され、少なくとも、前記認定の事実に照らすと、被告人が右時点で右口座から自由に右払戻しを受けることができたものと認めうる的確な証拠はない。

前掲の各電話聴取書には、被告人が右払戻しを自由に受けうる状況にあったかの如き部分も存するが、同部分は、前記の認定されて動かし難い事実とわが国の捜査官が当然具えているものと思われる捜査能力の程を考えると、到底これを措信し難く、他に右のような証拠は存しない。

したがって、被告人がAから自らの預金口座に振込み送金を受けた行為について、これを現金の交付を直接に受けたと実質的に同視することはできず、それ故、これによって、その犯行の目的を遂げたものと認めることは相当でなく、同人に対する犯行も、捜査官に発覚したことにより、結局、未遂に終ったものと認めるほかない。

以上の次第で、検察官の前記主張は理由がないものといわざるをえない。

(法令の適用)

被告人の前記Aら三名に対する各行為はいずれも刑法二五〇条、二四九条一項に該当するところ、各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、犯情の最も重いAに対する罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、情状により、同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、これを被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件各犯行は、被告人が、妻と育ち盛りの三人の子を有しながら、約六年間にわたり、競馬の賭事に耽けり、サラ金業者に多額の負債を生ずると、一度に大金を得てこれを解消することを考え、資力があると思われる開業医に対し、暴力団の威勢をかりてこれに及んだものであり、その経過と動機に酌量に値するものがないこと、犯行に先立ち、前記のとおり、予め、喝取金を受け取るための預金口座やキャッシュカードの送付を受ける私書箱を設けて同カードの交付を受けるなど、犯行に計画性が認められること、被害者らはいずれも相当に畏怖し、現に、Aは、二日間、独り思い悩んだ末、前記のとおり、被告人の要求に応じ五〇万円を振込送金するに至ったこと、なお、被告人には、当時、他にも、二〇人位の医師に対して同様の犯行に及び、そのうちの一人から三万円の振込送金を受けた様子が窺われること、そして、右事実に、被告人が当時、官庁の守衛の職にありながら本件各犯行に及んだことや、その後も右賭事に大金を費すことをやめなかった様子が窺われることなどを併せ考えると、本件各犯行は、被告人の規範意識に乏しい身勝手な生活態度を示すものとして、また、多額の金員を喝取しようとしたものとして、更に、これにより被害者らが受けた打撃やこれが社会に及ぼすべき影響を軽視しえないものとして真に悪質で、その罪責は重く、右生活態度が改まらない限り、再犯の虞を拭うことができないものである。

他方、被告人は、これまで、前記のほかに特に問題視される前歴は認められず、三重県内の高校を卒業し、上京してテレビ電子学校で二年間学んだ後、稼働を続け、二一歳時の昭和五四年に結婚し、三人の子をもうけ、それなりに努力して妻子を養ってきた様子が窺われること、本件犯行については、被告人は、結婚以来、経済的に余裕のない生活を続けていたが、昭和五九年に賃料の安い雇用促進住宅に入居し、漸く生活が安定するに至ったことから、気の緩みが生じ、前記賭事を始めるうち、これに溺れ、前記のとおり、多額の負債を生じ、これが妻や職場に知られると、離婚を迫られたり、退職を余儀なくされることとなり、平成二年一一月、裁判所に自己破産の申立てをし、その後、破産宣告決定を得て免責の申立てをしたが、委任した弁護士から、免責決定が得られないおそれのあることを告げられ、思い悩み、健全な思考力を鈍らせるうち、たまたま目にした週刊誌の記事から犯行を思い立つに至った経過が窺われること、犯行の方法が比較的単純で、これによりその目的を遂げうる可能性は必ずしも高かったものとは認め難く、現に、多くの医師が被告人から前記書面の写しを送付されながら、その要求に応ぜずに警察官に通報し、前記のように、Aらが振込送金する前に、被告人がこれを入手する途が閉ざされ、各犯行がいずれも未遂に終ることとなったこと、被告人は、本件により、三か月余りの間身柄を拘束されて審理を受け、これまでの生活も振り返り、反省、悔悟を深めた様子が認められること、この間、被害者のAらについては、前記口座への振込金がそのまま留められていたことから、これにより、その賠償が行われたこと、被告人は、本件により、前記職場を解雇され、妻の求めに応じ、離婚して子らとも別れることとなり、当公判廷において、今後、郷里の両親の許に戻り、出直し、更正したい旨述べていること、その両親が出廷し、父親が証人として、被告人を迎え、支援、監督に努めたい旨述べていること、別れた妻が被告人の子らに対する養育費の分担を求めていること、被害者のAからは、被告人を宥恕し、その刑の執行猶予を願う旨の上申書が提出されたこと、なお、被告人は、前記破産手続で免責決定を受けたこと、その他、被告人の年齢の程など斟酌すべき点も存する。

これらの諸般の事情を総合考慮した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官岩垂正起)

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